「人生とは死ぬまでの暇つぶし」と考えれば何だって出来る
いきなりこんなことを言うと、頭おかしい人かも知れません。
多分、有名な方だったら炎上となるのでしょう。
わたしは基本的に超楽観的でかつ阿呆です。
良くも悪くも、子供だと言われます。
これ以上阿呆にはなれないのだから、何でも好きにやればいいじゃないかと身内からも攻撃されてます。(笑)
人生とは死ぬまでの暇つぶしだ。
誰が言ったか忘れましたが、大学生の頃このフレーズを聞いてしっくりきました。
今は何が起こるか分からない時代。
今やってる仕事がいきなり無くなったりするし、無くならずとも価値がどんどんと下がる職種はたくさんある。
わたしは新卒でIT業界に駆け込み、組み込み系やWeb系、基幹系や業務アプリなど短期間で様々な苦い経験をしました。
入社した会社がソフトハウスだったこともあり、様々な仕事が様々なポジションで経験出来ました。
当時の新技術(3Dのプリントスキャンとか)を扱うような仕事もありましたが、私には回ってきませんでした。
実際に携わったのは、短期間構築・短納期でのシステムエンハンスやリプレース。
人海戦術による大規模コーディング・大規模試験。一歩間違えたら大幅手戻り、1発で大赤字なんてのはしょっちゅう。
人は雇えないから、なんとかしろ。
このメンツで丸く納めろ。
なんでもいいから作れ。
若かったから何とか頑張れたけど、今じゃキツくてキレてただろうなぁ。。
今は何して暇を潰しているか?
同じようなことをしてます。
ただし、昔の切って貼って作ってということではなく、こんな感じで作ってよっというイメージ図やスケッチをしています。
これはこれで楽しいのですが、実際にモノを作っていないので出来上がった時の達成感が違います。
モノをせっせと作ってた頃は客が見えなかったので、とにかく作り上げた達成感でした。
今はそこにたどり着くまでのプロセス、調整や人付き合いなどがファクターとして多いので、上手くいった時は関係者への感謝の気持ちが素直に生まれます。
ありがとう、としか言えませんが、
そのありがとうの中に深いものが芽生えます。
お前は一体何を言いたいんだ?
読んでくださった方は皆思うでしょう。
だからこそわたしは全力で物事に取り組みます。言い方を良くいうと、何事も誠心誠意・最後まで責任を持って取り組みます。
悪い言い方だと、(極論入ってます)
どうせ最後は死ぬのだから、悔いのないように、暇を持て余さないように何でもやってみよう。
わたしは後者の精神で毎日生きてます。
どうせ最後は消えてなくなるなら、燃え尽きて消えてなくなろうと。
なんかまとまらず、精神論になってしまいました。
すみません。
もっと有益な、楽しいことを書けるよう夜風に当たってきます。
ではでは。